ボーイ・ミーツ・ガール
夏の日の恋
- 島田廣
澄子がこんなに弱気になる原因の大部分が秋の新学期が始まり、
真一が東京に行ってしまったことにあるのは間違いなかった。
夏の間、二人は殆ど毎日のように会っておりステディな関係を続けていたし、
二人とも何故こんなに仲がいいのか不思議に思うほど波長があった。
まは精密検査の結果を待っているところだが、
澄子本人には確信に似た予感があって確実に自分の血液中の白血球は減少しており、
ちかいうちには皮膚に出血にともなう斑点が現れて、
その後は貧血、脱毛と症状は進行してゆき、ついには白血病、癌にそっくりの死を迎える。
「原爆被爆者手帳」には、そうした未来のシナリオが書かれているように思えるのだった。
その手帳は澄子の手のひらの上でとても薄っぺらで頼りなげに見える。
広島の町に原子爆弾が降ってきた昭和20年8月6日の朝、澄子は母の胎内にいた。
母の久子は臨月近いお腹をしており、原爆の爆風で住んでいた市内千田町の家屋は倒壊し、
そのとき大きな梁が倒れて右の脚を打ち骨折した。
澄子はその時の胎内被爆児である。
胎内で原爆を受けた子供の寿命がどの程度か分からないが、
どちらにしろ長生きのできる体ではないと澄子は、物心がついた頃からそう思っていた。
夕凪の時間になったせいか風ひとつなく晩夏とも初秋ともつかぬ暑さである。
不自由な右足を引きずるように歩いて母が病室に入ってきた。
ベッドサイドの椅子に大急ぎで座った。
「暑いね。カープ昨日も負けたんよ」と久子はプロ野球の話を始める。
澄子の長くてきれいな脚が寝巻の裾から見事に出ていて、久子はそれが眩しくて目をそむけた。
「三面鏡の引き出しに花椿の化粧水があるけぇ、明日もってきてや」
「ええよ」
そう答えて久子は団扇をぱたぱたと扇いだ。
澄子は、この三日前から発熱と嘔吐が続き、
たまりかねた母が勤め先に電話を入れて昨日の入院さわぎになった。
原爆病院といわれる、この赤十字ホスピタルの病室には6つのベッドがあって、
そのうちの2つは澄子ともう一人若い女性がいた。
他は、ひっそりした中年の小母さんが二人寝ており、残りの2つは空いている。
澄子のベッドは窓際にあった。
「今日はもう帰えりんさいや」
澄子は母にそう言うとベッドサイドのトランジスタラジオに手を延ばしてイヤホンを耳にした。
ちょうど米軍の岩国放送は夕方のヒットメドレーの時間なのだ。
今日も澄子は大好きなパーシー・フェイス楽団の「夏の日の恋」がオンエアされるのをじっと待つ。
そんな時間はとても甘美で澄子は真一のことをとても身近に感じるのだった。
<いまごろ、この時間は池袋の喫茶店でバイトしてるかな>
澄子の感情を見透かしたようにラジオからはトランペットの響きが流れはじめた。
「<テーマ・フロム・ア・サマー・プレイス>」澄子は小さく呟いて目を閉じた。
母の右足を引きずる足音が病室を出ていく。
澄子は<原爆症になると血が白くなるというけどほんまかね>と思い<ふん>と鼻をならした。
<真一にあいたいな>と思う。
心も体もなんだかだるかった。
<家に帰ってレコードを聴きたいな>それこそが澄子の切実な願いだった。
〇 〇
※絵の島を憶えていますか。20才の夏休み。
東京から帰省中の私は、絵の島海水浴場の貸しボート屋でバイトをしていた。
瀬戸内海汽船が所有するその小さな無人島は、
宮島のすぐそばにあり、きれいな海水浴場で人気があった。
懐かしい夏の思い出。1990年に閉鎖されている。

